総合的学習の視点から見た見たこと作文Q&A
Q.石川 晋(協力:札幌稲積中・見須明彦) / A.上條晴夫
(『授業づくりネットワーク会員版』No.138所収)


 総合的学習に見たこと作文のシステムがよく合います。そもそも見たこと作文実践のルーツは奈良女子大学付属小学校の「見たこと帳」です。見たこと作文は見る力を育てる新しい作文指導の方法として標準化してありますが、ここから総合的学習の様々な教育技術を学ぶことができます。本稿では北海道・中学校で見たこと作文実践を進めている石川晋氏の協力を得て「総合的学習の視点から見た見たこと作文」というQ&A形式の原稿を創りました。どうぞここから実践のヒントを掴んで下さい。

■1:
見たこと作文をおもしろがって書く生徒は確かに多いです。しかし、中学校では年ごとに生徒の学力が低下し、しかも耐性がない生徒が増える中、「〇〇を見た」でさえ書こうとしない生徒も出てきています。もっと強制的に書かせる指導が必要なのではないか、と悩んでいます。どうでしょうか。

 わたしが「見たこと作文」実践していた地区は必ずしも進学熱が高いわけでもなく学力が低い子も少なくなかったです。また耐性の弱い子どもたちもいました。
 わたしの「見たこと作文」は正にそうした場所で実践をされたものです。そうした状況の中でわたしが依拠したのは「子どもの興味・関心」でした。「あなたの興味のあることを書きなさい」「短くてもいいです」「毎日書きなさい」と呼びかけるところから実践をスタートさせました。
 実は「見たこと作文」の前には強制力を発動させるようなやり方もあれこれやって試してみました。しかし正に「学習意欲が低く、耐性も弱い」ような子どもたちにはそうした強制力を働かせる方法は効果がありませんでした。(*強制力を使う方法が効くのは勉強のできる子たちでした) わたしの「見たこと作文」実践では学期始めにたいてい子どもたちの「興味(関心)地図」を作る作業をやっていました。
 興味地図とは教科の学習内容に関係なく誰が何にどんな興味をもっているのかをできるだけ詳しく地図のように記した教師用メモノートです。このメモはわたしが見たこと作文実践をする上で非常に重要な役目を持つツールの一つでした。
 子ども一人ひとりの興味・関心を徹底して調べ上げ、それを書くように促すことが見たこと作文の考え方の基礎にあります。この方法は「あの子が!」というくらいの勉強嫌いにも意外な力を発揮しました。
 ただしこの方法論は自分なりの興味・関心を持てないでいる子には無力です。そこで考えられるのが「材への指さし」です。
 クラスの友だちが楽しそうにやっているテーマについてマネでよいから書くように促します。そしてその子をクラスの追究の渦の中に巻き込んでいきます。そうすることで「書くこと」に近づけていきます。
 以上が「見たこと作文」の基礎となる考え方です。わたしはこうした考え方に従って「見たこと作文」を創りました。そうしたら「勉強嫌い・作文嫌い」の子どももけっこう生き生きと追究してくれました。
 ちなみに「短くても必ず書く!」という一点については「見たこと作文」は強制を行います。その強制の中で「ただし何を書くかは自由です」「自分の興味・関心のあるものを書きなさい」「思いつかなければクラスの他の子のテーマを真似なさい」というふうに誘い込んでいきます。

■2:
見たこと作文の一枚文集に模範になるような優れた作文を選んで載せてきたのですが、だんだん書かない生徒が増えてきてしまいました。どうすればいいのでしょうか。

 わたしの書く一枚文集では「模範になる優れた作文」を載せることは滅多にありませんでした。つまり「長い」「気の利いた」「表現形式の整った」作品などです。
 一枚文集に載せる作文の「裏原則」(表の原則は「新ネタ」「新ハテナ」「新表現」などの形でこれまでにも文章にしてきたと思います)は「短い文」「ぎこちない文」「傷のある文」です。そういう作文中心でないと「あんな立派なのは書けない」とクラスの子に思われてしまうからです。
 同じレベルの「新ネタ」「新ハテナ」「新表現」の作品であれば、少しでも「短く」「ぎこちなく」「傷のある」ものを選びます。こうすると他の子も「そのくらいなら自分も書ける」となりやすいからです。
 ちなみに流れでどうしても「模範になるような優れた作文」を載せなくてはならなくなった場合は、その作文を読み上げた後に言います。「すごいです」「天才的な作品です」「でも絶対真似しないで下さい」
 なぜなら普通の子が普通に真似できる作文は平均点(総合点)の高い「模範になるような優れた作文」ではなく、「新ネタ」「新ハテナ」「新表現」などについて一点突破的に優れている作文だからです。
 故に「だんだん書かない生徒が増えてきてしまう」のは一枚文集に「模範になるような優れた作文」を載せることで起こっているのではないかなあと予想します。

■3:
一枚文集に載せる作文を選ぶ時、話題がつながっていきそうだと思う作文を5本並べるのですが、生徒は次の時にはぜんぜん違うものを書いてきます。載せる作文を選ぶ際に気をつけなくてはならないことは何ですか?

 子どもがクラスで追究している内容とは全然別の作品を書いてくるというのはすごいことです。本当ならば全ての子どもがこうした状態になってくれればよいと思います。先に書いたように見たこと作文のネタはそうでない子のための「作戦」です。
 教師が並べたのとは全然違う作品を書いてくるというのはこの観点からすると誉められこそすれ問題とするには当たらないことだろうと思います。「自分のオリジナルネタで書ける子はどんどん書きなさい」とわたしはいつでも言っていました。
 ただし「オリジナルネタ」で生き生きとした作品を書くわけでもなく、かといって学級ネタを書くでもなく。要するに乗っていない作品を書く子が出るという場合は「一枚文集に載せる作文」の「ハテナ」が弱いからじゃないかと思います。
 見たこと作文では思わず突っかかってみたくなるような「全称文」(全ての**は〜〜である)に対して「○か×か」という立場を取らせる指導をします。この子にこそこだわってほしいという子がいれば、「あなたはどっち?」とまず答えを聞いてから他の子たちに「○か×か」をします。
 ちなみにこの「○か×か」の指導をする時に教室の中で思う存分その理由を語らせてしまう(ディスカッションする)という追試報告を時々聞きます。わたしはそうはしませんでした。立場だけ取らせて理由はあえて言わせないようにしました。「言いたいことがあったら証拠付きで作文に書きなさい」というふうに言っていました。
 子どもの中に「こだわり」を発生させるには「発散」させない方がよいと思ったからです。このわたしの「発散させない」方法論はほぼ成功したと思っています。

■4:
一枚文集に取り上げた作文はいいのですが、それ以外の作文は丸などをつけるだけで返してしまってもいいのでしょうか。書く意欲が減退してしまうのではないか、心配です。

 赤ペンの指導についてはあれこれ試してみた経験があります。たとえば一般に「民主的」と考えられている手紙型の赤ペンです。子どもと教師の心の交流を促すような手紙のやりとりのような赤ペンです。
 40名近い子どもたちとずっと手紙型の赤ペンを続けられるのであれば、それに越したことはないです。しかし実際問題としてこの手紙型を続けるのは至難の技です。
 見たこと作文におけるわたしの赤ペンはこの「手紙型」を採用していません。単に五段階(+花丸)の丸付けをしてノートを返すだけでした。しかしそれでも慣れてくるとけっこう細かなコミュニケーションができました。「?」や「!」のような記号一つで結構色んなことが言い合えました。手紙的な言葉かけがないために書く意欲が減退するこは全くなかったです。
 ちなみにどうしてもその子の調子がおかしいなとなれば、直接その子とその作文を中に挟んでお喋りをするというようなことをしていました。つまり見たこと作文のノート指導をシステムとして考察をしてみると「丸付け」と「お喋り」の二つの方法をあったことになります。この「二刀流」はけっこう役に立っていたと思います。

■5:
見たこと作文は意欲喚起に適した方法だけれど、そこから長文の作文へと発展させていく手立てが見えないと主張する方がいます。見たこと作文は長文の作文を書かせるためのスキル(技術)ととらえていいのでしょうか。

 わたしは長文の作文へと発展させようと意図したことがありません。ですので「手立てが見えてこない」と主張する方がいるのはまったくその通りだと思います。
 ちなみに長い作文を書かせることはさほど難しくないです。難しいのは中身のつまった作文を書かせることです。見たこと作文はそこに焦点を当てた作文指導です。

■6:
見たこと作文の手法が中学校も含めて総合的な学習の時間などに活用できそうだというのはなんとなくわかります。でも、具体的にどのような形で活用していくのかを考えると困難を感じてしまうのですが。

 この点を詳しく書くと一冊の本になってしまいます。申し訳ありませんが、拙著『総合的な学習のための教育技術−調べ学習のコツと作文的方法−』(健学社・2000年7月)をご覧いただけると幸いです。
 目次を示すと「T・総合的学習を考える作文的方法の4つのポイント」「U・総合的学習を創る作文的方法のヒント20」「V・総合的学習を実践する−見たこと作文『クモの不思議』」となっています。

■7:
一枚文集はノートに貼らせたり専用バインダーを用意させたりして保管させてきましたが、結構大変で生徒によるばらつきが出たりします。配布し読み聞かせをした後の処理はどのようにするのがよいのでしょうか。

 配布し読み聞かせをした後の一枚文集をどう処理するか。わたしの場合は各家庭に専用バインダーを用意して、そこに綴じ込んでいただくことが多かったです。
 ただし正直に言うと、わたしは「処理」についてあまり強く意識したことはありません。ただ「見たこと作文」を実践をしたクラスの子どもや保護者から時々、何年も後になって「ていねいに取ってあります」というような話を聞くことがありました。こういう話はとてもうれしいです。
 一枚文集を子どもたちにちゃんと取っておいてもらうには一枚文集が単なる教材ではなく、一つの読み物になるようにする工夫が必要ではないかと思います。つまり、子どもの作文とそれについてのコメントだけを書くのではなく、クラスの追究物語を書くという視点を持つことです。
 処理について考えるよりも、そうした一枚文集の構成の方法に頭を使う方がより意味があることのような気がします。

■8:
中学校では国語の授業などで取り組む場合も多いのですが、そうすると毎日提出は無理です。例えば一週間に一回の提出でも十分な追究がすすむのでしょうか。

 わたしには経験がないです。しかし小学校の理科専科の先生が一週間に2度くらいの理科の時間に「見たこと作文」をやって成功をしたという実践例があります。
 中学生であれば小学生よりも問題意識の継続が出来やすいだろうと思います。一週間に一回の提出で「十分な」追究ができるかどうかわかりませんが、チャレンジしてみる価値は十分にあると思います。

■9:
随意選題か課題提示かという論争がありましたが、見たこと作文で取り上げるネタは、子どもたちに完全に委ねてしまうのでしょうか。それとも、教師がある程度の枠付けをすべきなのでしょうか。

 見たこと作文では子どもたちが追究したら面白いだろう「材」への指さしを教師が行います。たとえば「たんぽぽ」「川」「ポスト」「ヒガンバナ」「クモ」などです。
 こうした「材」への指さしを課題誘導と呼んでいました。自由に課題を選ばせる訳でもなく、課題を完全に指定する訳でもない。その中間のやり方をわたしが実践した「見たこと作文」は採用していました。
 つまり「この辺に何か面白い宝が埋まっていそうだよ」というエリアへの指さしを行います。この指さしをすることで子どもは「宝」を発見しやすくなります。
 もちろんわたしの指さしたエリア外での作文活動もアリです。しかしわたしの指さしたエリアで一度でも宝を発見した経験を持つ子どもはわたしの指さしを信用するようになります。その信用が子どもを動かします。これが上條流の指さしです。
 一方わたしの「見たこと作文」システムを追試した方の中には材ではなくハテナそのものを教師が示して追究するという実践をあります。これも可能性としては面白いです。ぜひ試してみて下さい。

■10:
見たこと作文に取り組んでいると、作文技術の問題や調べ学習の方法など、取り立て指導を行いたいと感じる場面がたくさん出てきます。しかし、できればその場限り、でたとこ勝負的な指導ではない、一貫性を持たせたい、と思います。どのような授業の中で、どのような手順・手法によって行っていけばよいのでしょうか。

 わたしは「つねへいぜいの作文指導」としての見たこと作文と「意図的・計画的な作文指導」としての国語科作文の授業をいつも作文指導の両輪と考えていました。
 つまり見たこと作文という「つねへいぜいの作文指導」では自由な追究とそれに基づく作文活動を行い、国語科作文授業という「意図的・計画的な作文指導」では自由な追究型作文に必要になる個々の作文技術と方法論を提供するいうふうにです。
 たとえば自由な追究型の作文を書くには「書き出し」「ハテナ」「規模」「時間」「文題」「書式」「順序」「引用」「キーワード」「レトリック」などが必要です。これを国語科作文授業で指導しておくとよいです。この10項目の指導の方法については拙著『書けない子をなくす作文指導10のコツ』(学事出版)に書いてあります。
 また見たこと作文の直接的な基礎となる作文の方法として「番号作文」「鉛筆対談」「資料活用型作文」の3つがあります。この3つを事前指導しておくと「作文による追究」はグンとレベルアップします。この3つは拙著『子どもが熱中する作文指導20のネタ』(学事出版)に書きました。
 つまり「見たこと作文」実践をある程度筋道立ててやろうとする場合、『見たこと作文でふしぎ発見』『書けない子をなくす作文指導10のコツ』『子どもが熱中する作文指導20のネタ』を三部作として読むことをお薦めします。これらの著作はバラバラのものでなく関連しています。


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